先日、ご支援先の社長からいただいた添付文書付メールがアドレス誤記で一時行方不明になるというインシデントがありました。別人の「こんの」さんにアドレス変換され、気づかず送信した、というよくある誤送信です。幸い、他のルートから私に回ってきたので発見することができました。早速社長に注意を促し、誤送信先も懇意の方で事なきを得ました。
意外だったのは、共同でご支援しているベテランの先輩コンサルタントから、「誤配信だとしても社長の責任だから関知する必要はない」と言われたことです。私としては善意の諫言であり、一点のくもりもありません。責任範囲云々より、現にお客様がリスクにさらされている、注意を促して当然ではないか、とつい声が大きくなってしまいました。
コンサルタントと社長とは「機嫌の良い」関係を維持したいものです。お客様である社長とコンサルタントの関係は、形式上は主従であるべきだとも思います。主君に諫言することは常に一種の危険を伴います。先輩はこれらに重点を置いたわけです。
フームと思いながら何気なく佐藤一斎の「言志四録」を振り返ってみました。
曰く、「およそ人を諌めんと欲するには、ただ一団の誠意、言にあふるること有るのみ」
含蓄が深いですね。私の場合、誠意はあった、理はあった。しかしぶっきら棒だったかなあ、などと反省しました。
ついでにこんなのもありました。
「上司と意見が合わなければ、敬順を主とすべし。次に上司の立場に立ってよく考えよ。竟(つい)に不可なれば軽々に従わず、温和に論議せよ。」
これなんぞサラリーマン時代の私に贈りたい言葉です。古典は読むたびに得るものがあります。おかげ様でとても豊かな気持ちになりました。